鈴木 章 先生のご業績について

鈴木 章先生のご業績について

澤村 正也

(特別会員、有機金属化学研究室教授)

 〈クロスカップリングの誕生〉 有機合成の基本は、炭素-炭素結合形成反応です。その中でも最もシンプルで効率の良い方法が、クロスカップリングです。式1のように金属元素Mを持つ有機金属化合物とハロゲン元素Xを持つ有機ハロゲン化物を遷移金属錯体触媒の存在下で反応させます。MとXが反応位置を決めるタグとなり、この位置で確実に反応します。反応前後でそれぞれのパーツの構造に何の変化もないのが特徴です。このような反応を初めて発見、報告したグループのうちの一つで、その原理をはっきりと世に示したのは京都大学の熊田・玉尾グループでした。1972年のことです。

 

  熊田・玉尾らの報告をきっかけにして、遷移金属錯体を使う有機反応の研究が急速に発展していきます。そして1979年、鈴木カップリングが誕生します。本稿では、まず熊田・玉尾らのクロスカップリングを解説したのち、鈴木カップリングとはどういう反応で、学術と産業にどのようなインパクトを与えたのかについて紹介します。

〈熊田-玉尾クロスカップリングとは〉 熊田-玉尾クロスカップリングは、有機マグネシウム化合物 (1) と塩化ビニル (2) などの有機ハロゲン化物の反応を、ニッケル錯体を触媒として行うものです(式2)。ニッケル錯体がその姿を変えながら、反応生成物 (3) を与え、自分自身はまた元の姿に戻る様子を図1に示します。これを触媒サイクルといいます。まず0価状態で電子を豊富に持つニッケル錯体 (4) が、有機ハロゲン化物の炭素原子を攻撃することでC-Cl結合が切れ、有機部分と塩素原子がニッケルに付加した形 (5) になります。ニッケルが0価から2価の状態になるので、この反応を「酸化的付加」といいます。続いて 5 は有機マグネシウム (1) と反応します。この時、5 のNi-Cl結合と 1 のC-Mg結合はどちらも電気的に偏りがあるので、 6 のように電荷を中和する形で接近して反応し、ニッケル2価錯体 (7) とMgCl2を生成します。この反応を「金属交換」といいます。ニッケル錯体 7 は有機配位子を2つ持っています。これら同じ金属に結合した有機配位子の炭素原子は互いに近づいて安定な炭素-炭素結合を形成し、クロスカップリング生成物 (3) を与えます。ニッケルは、電子豊富な0価錯体 4 に戻ります。このように金属から2つの配位子が脱離して結合を形成し、金属が還元される反応を「還元的脱離」といいます。このようにして、「酸化的付加-金属交換-還元的脱離」によってクロスカップリングの触媒サイクルが成り立ちます。この触媒サイクルを初めて提唱し、実証したことが熊田・玉尾らの偉大な業績です。クロスカップリングに限らず、様々な遷移金属触媒反応が、同じ触媒サイクルか、もしくはその変形によって成り立っています。

〈クロスカップリングの発展〉 熊田-玉尾クロスカップリングは画期的な新反応でしたが、いくつかの解決すべき課題が残されていました。例えば、有機マグネシウム化合物 (1) の化学反応性が高過ぎるという問題です。それ自身がいろいろな官能基と反応するので、適用範囲に大きな制限がありました。このような問題を解決するべく多くの研究者がクロスカップリングの研究に参入し、様々な新型カップリング反応が開発され、この分野は大きく発展しました。その中でも決定版といえるのが鈴木カップリングです。

 

 〈鈴木カップリングとは〉 鈴木カップリングでは、式3のように有機マグネシウム化合物の代わりに有機ホウ素化合物 (8) を用います。C-Mg結合が大きな極性を持ち、そのため反応性が高いのに対し、C-B結合はほぼ無極性で化学的に安定です。当時、有機ホウ素化合物をクロスカップリングに利用できる可能性を発想した研究者は鈴木先生ら以外にはほとんどいなかったでしょう。鈴木先生らは、このように化学的に安定な有機ホウ素化合物が水酸化ナトリウムなどの塩基の存在下、パラジウム触媒の作用により有機ハロゲン化物 (9) とクロスカップリングの形式で反応することを発見しました。その触媒サイクルを図2に示しました。有機ホウ素化合物と塩基がフラスコの中で反応して、アニオン型化合物 (10) となります。この10は、それ自体安定でほとんどの有機官能基と反応しませんが、有機パラジウム錯体 (11) とは効率よく「金属交換」を起こし、2つの有機配位子を持つパラジウム錯体12を生成します。これが鈴木カップリングの「みそ」です。錯体12は「還元的脱離」によってクロスカップリング生成物を与えます。

〈鈴木カップリングの優れた特性〉 鈴木カップリングに関する最初の論文が発表されたのは1979年のことです。当初この反応はそれほど大きな注目を集めていませんでした。しかし、様々な化合物に幅広く適用できること、反応物や溶媒などから水分を除かなくても再現性よく反応が行えることなど、その優れた特性が次第に広く認知されるようになりました。さらに、多種多様な有機ホウ素化合物が市販されるようになったこともあいまって、鈴木カップリングは企業における実用製造プロセスにも利用される汎用手法となったのです。

〈鈴木カップリングが与えた産業へのインパクト〉 鈴木カップリングという1つの化学反応が社会に対して大きなインパクトを与えました。医薬、農薬、有機電子材料には芳香環同士が結合したビアリールと呼ばれる構造を持つ化合物が数多くありますが、その製造プロセスの多くに鈴木カップリングが用いられています(式4、図3)。有名な例として、血圧降下剤のロサルタン(米国Merk社、商品名:ニューロタン®)、野菜の殺菌剤ボスカリド(ドイツBASF社)、液晶テレビに実装されている液晶性化合物13(チッソ化学)、有機EL材料14(チッソ化学)などがあり、他にも様々なところで利用され、私たちの豊かな暮らしを支えています。

 

〈先生に感謝〉 このような鈴木先生のご業績とノーベル化学賞のご受賞は、私たち化学を学び研究するものに対して多くのことをご教示下さると同時に、大きな希望と勇気を与えて下さいました。実験台の上の化学が、社会に対してこれほどに大きな影響を及ぼすことを鈴木先生が教えて下さいました。これを好機にして、化学科が益々発展することを願っています。
最後になりましたが、鈴木章先生、ノーベル化学賞のご受賞おめでとうございます。