澤村 正也 Masaya Sawamura
教授 Professor
澤村 正也 Masaya Sawamura
E-mail: sawamura[at]sci.hokudai.ac.jp
略歴
- 1961 高知県に生れる
- 1980 土佐高校 卒業
- 1984 京都大学工学部合成化学科 卒業
- 1989 同大学院工学研究科博士課程 修了
- 1989 京都大学工学部合成化学科 助手
- 1993 米国ハーバード大学化学科 客員研究員(兼任、–94)
- 1995 東京工業大学理学部化学科 助手
- 1995 東京大学大学院理学系研究科化学専攻 助手
- 1996 同 講師
- 1997 同 助教授
- 2001 北海道大学大学院理学研究科化学専攻 教授
- 2002 JST-PRESTO「合成と制御」領域研究者(兼任、-06)
- 2005 北海道大学環境保全センター長(兼任、–11)
- 2006 改組により大学院理学研究院化学部門に配置換え 教授
- 2011 北海道大学安全衛生本部 副本部長(兼任)
受賞歴
- 1990 有機合成化学協会「エーザイ」研究企画賞
- 1996 日本化学会 進歩賞
- 2007 OMCOS Poster Prize in Organometallic Chemistry
- 2008 Visiting Lectureship Award from National Science Council, Taiwan
- 2008 Asian Core Program Lectureship Award
- 2012 日本化学会 学術賞
- 2012 Asian Core Program Lectureship Award
- 2013 Asian Core Program Lectureship Award
- 2014 平成25年度 北海道大学研究総長賞
- 2015 2014年度 有機合成化学協会 日産化学・有機合成新反応/手法賞
- 2017 名古屋メダル(Silver Medal)
- 2018 根岸賞
- 2019 有機合成化学協会賞
- 2020 北海道大学教育研究総長賞
- 2021 文部科学大臣表彰 科学技術賞 研究部門
受託研究
- JST CREST「元素戦略を基軸とする物質・材料の革新的機能の創出」
永島チーム「有機合成用鉄触媒の高機能化」 共同研究者(2011−2017) - JST ACT-C「低エネルギー、低環境負荷で持続可能なものづくりのための先導的な物質変換技術の創出」 研究代表者「量子シミュレーションに基づく不斉C–H活性化触媒の開発」(2012−2018)
学協会、研究支援等の活動
- 近畿化学協会 有機金属部会 幹事(2011−)
- JST さきがけ「分子技術と新機能創出」 領域アドバイザー(2012–2018)
- 有機合成化学協会 北海道支部長・協会理事(2013–2017)
- 万有シンポジウム連絡協議会委員・万有札幌シンポジウム組織委員長(2015–)
- JSPS研究拠点形成事業「アジア有機化学最先端研究拠点形成事業」 国内拠点リーダー(北海道)
- Tetrahedron, Consulting Editor (2015–)
- Tetrahedron Letters, Consulting Editor (2015–)
- Journal of the Chinese Chemical Society, International Editorial Advisory Board Member (2018–)
その他の社会活動
- 大学等環境安全協議会 理事(2013−)
- 「環境と安全」誌 編集委員(2013−)
- NPO法人 教育研究機関化学物質管理ネットワーク(ACSES) 理事(2013−)
- 公益財団法人 尚志社(武田製薬工業㈱の企業財団) 評議員(2013−)
- 日本学術会議 連携会員(2017–2023)
研究業績
私の開拓者精神
本年1月,丸岡啓二先生の後任として有機金属化学研究室担当教授に着任いたしました.こうしてご挨拶の原稿を書きながら,2001年1月15日,赴任のために乗った飛行機が,千歳空港に降り立った時の強烈な印象が鮮明に思い起こされます.~前任地の東京を離れた約1時間半後,飛行機は薄曇りの空気を突き破りながら高度を下げ,恐れさえ感じさせる荒涼とした大地にゆっくりと近づいていました.もう着陸しようかという頃,「ここに降り立ったその瞬間から,本当にこの国の住人になるんだ.そして新しい人生が始まるんだ.」という恐れと興奮が入り交じった複雑な思いが体を震えさせ始め,着陸の時には,遂に心に火が付くのを自覚したのでした.「開拓者精神とはこれなんだ」と気づいた瞬間でした.
1961年12月15日(北大赴任の39年前),私は北海道とはずいぶんかけ離れた高知県の小さな町に生れました.佐川町という人口1万5千人のその町は,高知市と愛媛県松山市を結ぶ国道33号線を高知市から車で30分ほど走り,そろそろ四国山地の始まりかと思わせる峠のトンネルを抜けたところにあります.札幌農学校2期生の広井勇先生(札幌農学校教授,東京帝国大学教授,土木工学会第6代会長,小樽,函館,室蘭などの港湾を設計し,港湾の父と呼ばれる)は佐川町出身の偉大な先輩です.
私は中学校までこの佐川町の学校に通い,土佐高等学校を卒業後,1980年,京都大学工学部合成化学科に入学しました.田舎育ちの少年が桜舞う華やかな 鴨川のほとりで感じたものは,21年後の千歳空港上空での思いとどこか重なるものがあった様に思い出されます.京都では大学院博士後期課程(伊藤嘉彦教授,有機金属化学研究室)まで進み,さらにそのまま助手の職に就いたので,結局15年間にわたりここで過ごしました.まさに第2の人生がここにありました.今でも京都は私の第2の故郷です.
1995年から北大赴任までの6年間は東京で過ごしました.この間,東京工業大学理学部化学科助手,東京大学大学院理学系研究科助手,講師,助教授として中村栄一先生の研究室(物理有機化学研究室)でお世話になりました.東京への移動は確かに人生の大きな転機ではあったのですが,ここに最初の一歩を踏み出した時には,京都・鴨川や千歳上空でのあの感動はありませんでした.この違いは一体何によるのだろう?この原稿を書きながら自問してみました.そして今,それは自立の問題ではなかろうかと思います.京都では大人としての自立,千歳上空では研究者としての自立への思いが潜在していたのではないかと思われるのです.その自立が今始まるのだという恐れと希望が,体を震わせ,心に火を付けたのだと.そして千歳上空では北海道の大地がこういう思いを何十倍にも増幅したのではないかと思うのです.
周りの皆様の暖かいお心遣いに支えられた一年でした.北大の澤村を確立すべく教育,研究に精進致しますので,今後とも化学同窓会の皆様のご支援,ご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げます.
澤村 正也
北大理学部化学科同窓会誌「るつぼ」(平成13年度)寄稿
かけがえのないもののために
巻頭言
かけがえのないもののために
環境保全センター長 澤 村 正 也
(理学研究院教授)
わたしたちはこの北海道大学において、日々研究、教育、学習、芸術、あるいはそれらを支える活動に力を注いでいます。目的を果たすと、達成感、充実感が得られます。そしてこれをエネルギーにして、また次の活動へと向かいます。この先にある究極の目的はいったい何でしょうか。
突きつめると、誰もがより豊かで幸せなくらしを願い、これができるだけ多くの人のためになることを願っているのだと思います。そしてその幸せも、この美しい自然環境があってこそだと誰しも思うことでしょう。とすると、日々力を注ぐその活動は、自然環境に対して十分配慮されたものでなければ、まったく意味のないものになるのではないでしょうか。わたしたちの身の回りで、自然はそれ以外の何よりも美しく、高度に機能的であり、かけがえのないものだからです。
「自分が豊かで幸せであればそれでいい」という人もいるでしょう。そういう人にはぜひ考えてほしいことがあります。本学出身の宇宙飛行士、毛利衛さんが学内で行われたある講演会で、およそ次のように述べられたことが強くわたしの印象に残っています。「あなたは1人で幸せですか。幸せは、あなたが深い絆で結ばれた人とともに思うものではないですか。そしてその絆は次の世代にも、さらにその次の世代にもつながっています。この美しい地球を残さなければなりません。」
とはいえ多忙な現実の日々においては、誰しも身近な目標を達成することに心を奪われがちです。自然環境への配慮はしばしば面倒を伴います。早く成果をあげたいと思うと、つい配慮に欠けた行動をとってしまいそうになります。こんな時みなさん、自分の活動の先にある究極の目的は何だったのか、思い起こしてみませんか。それを行動規範として日々の活動をより有意義で質の高いものにしませんか。
北海道大学は、自然豊かで美しいキャンパスに恵まれています。環境配慮への高い意識を持つには絶好の立場にいます。省エネルギー、ごみ分別・減量、排水・大気環境の保全、実験廃液の適正処理、化学物質の適正管理など、みなが高い意識を持って望み、北海道大学のレベルを向上させましょう。
昨年度の本学の環境への取り組みと成果をまとめた冊子「北海道大学2005年度環境報告書−エコキャンパスをめざして−」が発行されています。みなさん、ぜひこれを一読してください。自らの置かれている立場、現状を知り、また仲間の努力を知り、これを北海道大学のレベルアップのための、みなさんひとりひとりの行動につなげてほしいと思います。なお環境報告書に関しては、岸浪建史副学長より本号に記事をご寄稿頂いていますので、そちらもぜひご覧下さい。
毎年たくさんの学生が、高度な教養、専門知識・技能を持ってこの北海道大学から、社会の様々な場所に向かって巣立ちます。かけがえのないもののために努力する人であってほしいと願います。
鈴木 章先生のご業績について
鈴木 章先生のご業績について
澤村 正也
(特別会員、有機金属化学研究室教授)
〈クロスカップリングの誕生〉 有機合成の基本は、炭素-炭素結合形成反応です。その中でも最もシンプルで効率の良い方法が、クロスカップリングです。式1のように金属元素Mを持つ有機金属化合物とハロゲン元素Xを持つ有機ハロゲン化物を遷移金属錯体触媒の存在下で反応させます。MとXが反応位置を決めるタグとなり、この位置で確実に反応します。反応前後でそれぞれのパーツの構造に何の変化もないのが特徴です。このような反応を初めて発見、報告したグループのうちの一つで、その原理をはっきりと世に示したのは京都大学の熊田・玉尾グループでした。1972年のことです。
熊田・玉尾らの報告をきっかけにして、遷移金属錯体を使う有機反応の研究が急速に発展していきます。そして1979年、鈴木カップリングが誕生します。本稿では、まず熊田・玉尾らのクロスカップリングを解説したのち、鈴木カップリングとはどういう反応で、学術と産業にどのようなインパクトを与えたのかについて紹介します。
〈熊田-玉尾クロスカップリングとは〉 熊田-玉尾クロスカップリングは、有機マグネシウム化合物 (1) と塩化ビニル (2) などの有機ハロゲン化物の反応を、ニッケル錯体を触媒として行うものです(式2)。ニッケル錯体がその姿を変えながら、反応生成物 (3) を与え、自分自身はまた元の姿に戻る様子を図1に示します。これを触媒サイクルといいます。まず0価状態で電子を豊富に持つニッケル錯体 (4) が、有機ハロゲン化物の炭素原子を攻撃することでC-Cl結合が切れ、有機部分と塩素原子がニッケルに付加した形 (5) になります。ニッケルが0価から2価の状態になるので、この反応を「酸化的付加」といいます。続いて 5 は有機マグネシウム (1) と反応します。この時、5 のNi-Cl結合と 1 のC-Mg結合はどちらも電気的に偏りがあるので、 6 のように電荷を中和する形で接近して反応し、ニッケル2価錯体 (7) とMgCl2を生成します。この反応を「金属交換」といいます。ニッケル錯体 7 は有機配位子を2つ持っています。これら同じ金属に結合した有機配位子の炭素原子は互いに近づいて安定な炭素-炭素結合を形成し、クロスカップリング生成物 (3) を与えます。ニッケルは、電子豊富な0価錯体 4 に戻ります。このように金属から2つの配位子が脱離して結合を形成し、金属が還元される反応を「還元的脱離」といいます。このようにして、「酸化的付加-金属交換-還元的脱離」によってクロスカップリングの触媒サイクルが成り立ちます。この触媒サイクルを初めて提唱し、実証したことが熊田・玉尾らの偉大な業績です。クロスカップリングに限らず、様々な遷移金属触媒反応が、同じ触媒サイクルか、もしくはその変形によって成り立っています。
〈クロスカップリングの発展〉 熊田-玉尾クロスカップリングは画期的な新反応でしたが、いくつかの解決すべき課題が残されていました。例えば、有機マグネシウム化合物 (1) の化学反応性が高過ぎるという問題です。それ自身がいろいろな官能基と反応するので、適用範囲に大きな制限がありました。このような問題を解決するべく多くの研究者がクロスカップリングの研究に参入し、様々な新型カップリング反応が開発され、この分野は大きく発展しました。その中でも決定版といえるのが鈴木カップリングです。
〈鈴木カップリングとは〉 鈴木カップリングでは、式3のように有機マグネシウム化合物の代わりに有機ホウ素化合物 (8) を用います。C-Mg結合が大きな極性を持ち、そのため反応性が高いのに対し、C-B結合はほぼ無極性で化学的に安定です。当時、有機ホウ素化合物をクロスカップリングに利用できる可能性を発想した研究者は鈴木先生ら以外にはほとんどいなかったでしょう。鈴木先生らは、このように化学的に安定な有機ホウ素化合物が水酸化ナトリウムなどの塩基の存在下、パラジウム触媒の作用により有機ハロゲン化物 (9) とクロスカップリングの形式で反応することを発見しました。その触媒サイクルを図2に示しました。有機ホウ素化合物と塩基がフラスコの中で反応して、アニオン型化合物 (10) となります。この10は、それ自体安定でほとんどの有機官能基と反応しませんが、有機パラジウム錯体 (11) とは効率よく「金属交換」を起こし、2つの有機配位子を持つパラジウム錯体12を生成します。これが鈴木カップリングの「みそ」です。錯体12は「還元的脱離」によってクロスカップリング生成物を与えます。
〈鈴木カップリングの優れた特性〉 鈴木カップリングに関する最初の論文が発表されたのは1979年のことです。当初この反応はそれほど大きな注目を集めていませんでした。しかし、様々な化合物に幅広く適用できること、反応物や溶媒などから水分を除かなくても再現性よく反応が行えることなど、その優れた特性が次第に広く認知されるようになりました。さらに、多種多様な有機ホウ素化合物が市販されるようになったこともあいまって、鈴木カップリングは企業における実用製造プロセスにも利用される汎用手法となったのです。
〈鈴木カップリングが与えた産業へのインパクト〉 鈴木カップリングという1つの化学反応が社会に対して大きなインパクトを与えました。医薬、農薬、有機電子材料には芳香環同士が結合したビアリールと呼ばれる構造を持つ化合物が数多くありますが、その製造プロセスの多くに鈴木カップリングが用いられています(式4、図3)。有名な例として、血圧降下剤のロサルタン(米国Merk社、商品名:ニューロタン®)、野菜の殺菌剤ボスカリド(ドイツBASF社)、液晶テレビに実装されている液晶性化合物13(チッソ化学)、有機EL材料14(チッソ化学)などがあり、他にも様々なところで利用され、私たちの豊かな暮らしを支えています。
〈先生に感謝〉 このような鈴木先生のご業績とノーベル化学賞のご受賞は、私たち化学を学び研究するものに対して多くのことをご教示下さると同時に、大きな希望と勇気を与えて下さいました。実験台の上の化学が、社会に対してこれほどに大きな影響を及ぼすことを鈴木先生が教えて下さいました。これを好機にして、化学科が益々発展することを願っています。
最後になりましたが、鈴木章先生、ノーベル化学賞のご受賞おめでとうございます。