研究紹介
2023.08.162023.08.22
有機合成化学の新しい潮流を目指して
私たちの研究室では高速有機化学 の分野開拓に資する研究活動を行っています。
科学技術の進歩は現代社会の発展に大きく寄与してきました。 中でも、物流や情報伝達の短時間化、すなわち高速化を目的とした技術革新 が、今日の豊かさを支えていると言えます。一方、合成化学分野(有機合成化学や高分子合成化学など)は、生物活性物質や機能性材料、高分子材料などの有機化合物を合成し社会に提供することで現代社会の発展に大きく貢献してきました。社会が高度に進化し、常に新しい高機能な有機化合物が求められる現代において社会の要求に応えるには、合成化学も他の科学技術の発展と同様、研究開発や合成・生産の「高速化(短時間化)」に目を向ける必要があります 。
私たちは、従来のフラスコのようなバッチ型反応器に代わる反応器として独自のフローマイクロリアクター に着目し、これを用いて合成化学分野に関連する研究開発を進めています。特に「反応面」および「合成プロセス面」の両側面から、合成化学の短時間化、高速化 を行うといった着想のもと、フラスコ化学では達成困難な反応や合成のための方法論の確立と、それを用いた新規機能性分子の創生研究を行っています。
フローマイクロリアクター
選択性制御
不安定活性種
不均一系触媒反応
有機電解反応
プロセス短工程化
プロセス一気通貫化
機械学習
有機合成では100年以上昔から変わらず、ガラスフラスコに代表されるバッチ型の反応器が用いられています。バッチ型の反応器ではミクロな分子変換反応という視点に加えマクロな「反応系全体」の制御も必要であり、時としてその制御は複雑で困難です。この100年で膨大な数の化学反応が開発されてきましたが、その一方で反応器はその多くが旧来のものが使用されています。バッチ型反応器では化学反応の力を必ずしも全て発揮できているわけではなく、つまり新しい反応の開発に加え、新しい反応場の研究が必要となります 。 私たちはマクロなバッチ型反応器に代わる反応器としてフローマイクロリアクターに着目し、これを利用した分子変換法の開発を行っています。フローマイクロリアクターとはマイクロメートルサイズの流路 を持ったフロー型の反応器で、流路内に溶液を流して反応を行います。そのためフローマイクロリアクターには以下に記す3つの大きな利点があります。
高速混合 物質の拡散時間は拡散距離の2乗に比例します。一般的なフラスコ内における磁器撹拌子の回転半径が数cm程度であるのに対し、フローマイクロリアクターの経路直系はマイクロメートルサイズです。つまり拡散距離が極めて短いため、混合速度も桁違いに速くなります。
精密な反応時間制御 フロー合成では流路内を流れる溶液の速さ(流速)と流路の体積を調節することで、溶液が流路内を通過する時間(滞留時間)を制御することができます。特にフローマイクロリアクターは内部が微細構造ですのでミリ秒単位という、人間の手で試薬を加える手法では達成できない時間軸での実験操作が可能です。
精密な温度制御 一般に、体積は長さの3乗に比例するのに対し、表面積は長さの2乗に比例します。例えば長さが10分の1になれば表面積は100分の1、体積は1000分の1となるので、この時、比表面積(単位体積当たりの表面積)は10倍となります。つまり微小流路を持ったフローマイクロリアクターは非常に大きな比表面積を持った反応器であると言えます。有機反応において水浴や湯浴による熱移動は反応器の接触表面を通じて行われますので、大きな比表面積によって精密な温度制御や急速な加熱冷却が可能となります。
私たちはこれらの特長を利用し、化学反応本来の力を発揮した新たな分子変換法 の開発と、それを用いた新規材料の開発 を行っています。
フロー高速マイクロ混合の特長を活かすことにより、速い競争的逐次反応において、フラスコ化学では達成不可能な高選択的反応 の研究を行っています。一般に、フラスコ化学における高速反応では、混合が反応に追いつかず速度論による選択性が発現しないdisguised chemical selectivityと呼ばれる問題が生じますが、私たちは、高速マイクロ混合により、disguised chemical selectivityを解決し、高速反応においても反応速度論に従った選択性が実現できることを実証し、有機合成に利用する研究を進めています。
最近の研究成果
カルボン酸塩化物と有機金属試薬との選択的な反応 カルボン酸塩化物と有機金属試薬との反応において、フラスコ型の反応器ではケトン体(モノ付加体)とアルコール体(ジ付加体)の混合物が生成しますが、高速マイクロ混合を利用すると、ケトン体が高選択的に得られます(Chem. Eur. J. 2019, 25, 4946.)。Weinreb amideへの変換を行うことなく、カルボン酸塩化物からのケトン体を直接合成可能にする本反応は、ステップエコノミーやアトムエコノミーの観点からも優れた高速分子変換法です。
アニオン重合・カチオン重合の精密制御 開始剤とモノマーの高速マイクロ混合による速度論依存の開始反応の実現により、高速なイオン重合(カチオン重合、アニオン重合)の分子量分布制御にも展開できます。キャッピング剤を用いない高速リビング重合を世界で初めて実現しています。フラスコ化学では達成困難な分子量分布の狭いポリマーの合成や、末端官能基化やブロック共重合体やテレケリックポリマーなど、精密に構造制御されたポリマーの高速合成を可能とした(Chem. Eur. J. 2019, 25, 13719.)。
高速な官能基選択的反応の制御 さらに、高速な分子内や分子間の競争的並行反応への展開により、高速マイクロ混合が複数ある官能基のうち一つの官能基だけを狙って変換する、高速な官能基選択的反応の制御にも有効です。例えば、分子内に2つのアルデヒド部位を有するテレフタルアルデヒドとフェニルリチウムとの反応をフラスコ系反応器で行うと、たとえ1:1の物質量比で試薬を加えたとしても、片方のアルデヒド部位のみが反応した生成物(モノ付加体)と、両官能基で反応した生成物(ジ付加体)がそれぞれ同等の収率で生じるのに対し、フローマイクロリアクターを用いると、高い収率でモノ付加体を選択的に合成できる(Chem. Lett. 2018, 47, 71.)。
高反応性の化学種はその活性の高さから高速な反応の実現が可能ですが、その分不安定な場合も少なくありません。フラスコ化学によるアプローチでは、活性種の寿命が短い場合、反応に利用する前に分解 してしまい、新規分子変換反応を開発する上で大きな制限となります。私たちはこの問題点を「時間を空間で制御する合成化学」という独自の方法論により解決する研究を行っています。これはフローマイクロリアクターを使って、寿命の短い高反応性の中間体を素早く生成させ、分解する前に短時間で別の空間に移動させ、続く反応剤と反応させる アプローチです。
最近の研究結果
o -ブロモフェニルリチウム種の合成利用 高反応性の o -ブロモフェニルリチウム種は、バッチ型反応器を用いる場合、−110 °Cの極低温で反応を行う必要があります。一方、「時間を空間で制御する合成化学」では、マイクロリアクター空間でこれを発生させ、その1秒後に次の試薬と反応させることが可能です。その結果、−70 °Cにおいても、本活性種が分解する前に反応に利用できることを見出しました。(J. Am. Chem. Soc., 2007, 129, 3046, Angew. Chem. Int. Ed., 2010, 49, 7543.)。これに加え、化学的に不安定な活性種の反応利用(Angew. Chem. Int. Ed. 2020, 59, 10924.)、反応のスイッチング(Chem. Eur. J. 2021, 27, 16107)、立体化学的に不安定な活性種の異性化反応(J. Am. Chem. Soc. 2011, 133, 3744, J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 1654.)など、フラスコ化学では取り扱うことが不可能な高反応性の不安定活性種の高次制御による、高速反応開発のための新しい方法論の研究を進めています。
フロー法での不均一系触媒反応の活用は、触媒再利用や生成物との分離の容易さなどの合成プロセス効率化の観点から、極めて高い注目を集めています 。しかし、一般的な不均一系の触媒担体をフローリアクター内に充填して利用すると、内部の大きな圧力損失により低流速条件での実施が必要です。さらに、触媒活性によっては、反応の完結に長時間が必要 となりますが、触媒の担体への固定化法の違いが触媒活性に影響を与える場合が多く、より長い時間を要する反応も少なくありません。私たちはこの問題点に対し「どのような担体を使って、どのような方法で触媒を固定化するか」の視点からの研究を展開しています。
最近の研究結果
モノリス担体に固定化した触媒リアクター ミクロンスケールの網目状の骨格が繋がった構造を持つ多孔質体(モノリス担体)に触媒を固定化し、高い空隙率と比表面積を持つ触媒担持リアクターに利用することにより、大幅な圧力損失の低減化および反応の高流速化を達成しました(Catal. Today 2022, 388-389, 231.)。
超臨界二酸化炭素により固定化した触媒リアクター モノリス担体への担持において超臨界CO2 を担持溶媒として用いることで高活性触媒担持の反応空間の構築を行いました。この低圧損かつ高活性な触媒担持型フローリアクターにより各種カップリング反応および水素還元反応を達成しました(Catal. Sci. Technol. 2020, 10, 6359; Green Process. Synth. 2021, 10, 722.)。
近年、地球環境保護への関心が高まる中、電気分解に代表される電子移動反応が注目を集めています。これは有害な廃棄物が発生する化学試薬を、電気に置き換えることができるため、大幅な環境負荷低減 が可能なためです。加えて活性種化学においては、高反応性の活性種を不可逆的かつ高濃度で発生できる点も大きな魅力です。しかし、有機電解反応は電極表面で進行する不均一型反応であるため、一般的に使用されているバッチ型電解装置では、装置容量に対する電極の大きさに制限があり、有機電解に数時間程度の長時間が必要です。そのため不安定で寿命が短い反応活性種は、通電中に分解 するため、これが反応開発の大きな制限となっていました。私たちは、新規電解フロー装置の独自に開発し、本課題に取り組んでいます。
最近の研究結果
秒スケールで電解を完了させるフロー電解反応装置の開発 フロー電子移動反応空間の内部構造の精密設計・制御により、短時間で電解反応を完了させる電解装置を開発しました。本装置を用いることで、わずか 4 秒で高速に電気分解を完了できます。発生させた不安定活性種は、分解する前に次の空間に移動させて続く反応に利用することができるため、従来のバッチ型電解装置では困難な不安定炭素カチオン種を利用した高速有機電解反応と言えます。この高速なフロー電気分解を駆使してわずか20秒でのADHD治療薬の鍵前駆体などの高速合成を報告しました(Angew. Chem. Int. Ed. 2022, 61, e202116177.)。
医薬品などの複雑な有機化合物を合成する場合、原料や中間体にいくつかの官能基が共存することが多く、特定の官能基のみを選択的に反応させることは一般的には容易ではありません。そのため、反応させたい官能基以外の官能基を保護し、その後に望む分子変換反応を行い、その後で保護した官能基を元の官能基に戻す反応(脱保護反応)を行うのがこれまでの有機合成化学の常識でした。保護・脱保護の手法により種々の複雑化合物が合成されてきましたが、合成に必要な反応数を増加させ、合成プロセスの効率を低下させ、生じる廃棄物の量を増やす 、という課題がありました。そこで私たちは、「時間を空間で制御する合成化学」の活用により、保護基フリー合成 などの合成プロセスを短工程化する研究を行っています。
最近の研究結果
ケトンの保護基フリー合成 多くの有機化合物に見られる官能基であるケトンカルボニル基は、有機金属試薬など多数の求核剤と極めて速く反応するため、本官能基に影響を与えずに反応を行う場合にはアセタールなどの保護基を利用するのが常識です。しかし、マイクロリアクターを用いた空間制御によって、フロー系の滞留時間を3ミリ秒と極めて短く制御することにより、分子内にケトンカルボニル基を有する高反応活性の有機リチウム種を発生させ、これが分解する前に求電子剤を加えて素早く反応させるという、従来の常識を覆す保護基フリーの高速分子変換法の開発に成功しました。本法を利用して、天然物ポリフェノールMacbecin IやPauciflorol Fの全合成を行い、複雑な化合物の高速合成に本手法が有効であることを実証しています(Nat. Commun., 2011, 2, 264.)。
分子内に官能基を有する有機リチウム種の発生と反応 種々の求電子性官能基を有する有機リチウム試薬の発生と反応を、「時間を空間で制御する合成化学」の活用により達成しています。10ミリ秒と極めて短い滞留時間の制御により、アルコキシカルボニル基、シアノ基、ニトロ基を有する有機リチウム中間体の高速な発生と、分解前の反応を達成しています(Angew. Chem., Int. Ed., 2008, 47, 7833; Angew. Chem., Int. Ed., 2009, 48, 8063; Org. Biomol. Chem., 2010, 8, 1212.)。さらに、ホルミル基を有するベンジルリチウム種や、求電子性官能基(エポキシ環、シアノ基、アルコキシカルボニル基)を有するアルキルリチウム種においても、1ミリ秒と極めて短いフロー滞留時間中に発生させることで、分解前に求電子剤との高速な反応が可能であることを報告しています(Angew. Chem., Int. Ed. 2019, 58, 4027; Org. Biomol. Chem. 2015, 13, 7140.)。
同じフラスコ内で複数の反応を協奏的に行うドミノ反応や、逐次的に行うワンポット反応は、効率的な物質合成プロセスとして広く研究が行われてきましたが、その多くは、複数の「物質」を利用した合成戦略に留まっています。私たちは、「物質」ではなく「不安定活性種」を利用 して効率的な物質合成を一気通貫で行う、独自の空間的反応集積 の概念を提案しました。フローマイクロリアクターを利用した複数の高速反応の時間的・空間的な反応集積により、望みの合成プロセスが極めて短い時間で高速に達成可能です。さらに、1つの出発原料から直線的に目的物を得る直線的反応集積(反応の連結)と、複数の出発原料から複数の鍵中間体を発生させて適当な段階でこれらを反応させて目的物を得る収束的反応集積(反応の融合)に分類し、それぞれの特長を活かしたフラスコ化学未踏な一気通貫の高速合成プロセス開発 へと展開しています。
最近の研究結果
直線的反応集積化によるレチノイド合成 複数のマイクロリアクターの直線的な結合による一気通貫化により、3種の有機リチウム中間体の連続発生・反応による新規合成レチノイドTAC-101の単工程合成を達成しています。この戦略においては、高活性な中間体を複数回経由しているため、6段階の反応を13秒の内に完結させることができます(RSC Adv. 2011, 1, 758.)。
直接的反応集積化によるバイメタリックアレーン類の合成 ポリブロモアレーン類の連続的ハロゲン―リチウム交換反応を利用し、従来法では合成不可能な二種類の金属置換基を有する芳香族化合物(バイメタリックアレーン類)の合成を達成しました(合計反応時間30秒)。本手法によりバイメタリックアレーン類の合成が可能となり、新規な金属選択的クロスカップリング反応開発にも進展しています(J. Am. Chem. Soc. 2020, 142, 17039.)。
収束的反応集積化によるベンザインと有機リチウム試薬のカップリング反応 フローシステムの活用により、異なる空間で複数の短寿命活性種を同時に発生させる反応戦略が実現できます。例えば、異なる温度・時間条件で2-ブロモフェニルリチウムと他のアリールリチウムを発生させ、活性種同士の混合による収束的反応集積を行うと、ベンザインとアリールリチウム種とのカルボリチオ化によりビフェニル型リチウム種への変換が可能であることを見出しました。生じたビフェニル型リチウム種にフロー中で求電子剤を作用させることにより、わずか3.8秒での農薬boscalidの前駆体合成が達成できました。本反応プロセスは、遷移金属触媒を使用しない新規な三成分カップリング反応であり、従来のフラスコ化学の枠を超えた反応開発の展開として、収束的反応集積の有効性を実証しています。(J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 12245.)。
合成研究においては、種々の検討において化学者の勘や経験により実験条件が決定されています。私たちは、反応の探索や、見出した反応の最適化研究において、機械学習を活用することでこれらの条件探索の高速化 を目的とした研究を行っています。
最近の研究結果
フロー電解反応の高速な最適化 フロー型の有機電解装置であるPEM(Proton-Exchange Membrane)リアクタープロセスを用いた水添反応においては、複数パラメータ(反応温度、反応時間、基質濃度)の最適化をする必要があります。私たちはこれら3種類のパラメータにおいて、ベイズ最適化を活用することで、わずか4条件の反応を行うだけで最適な反応条件を見出しました(Front. Chem. Eng. 2022, 3, 819752.)。